「看護で世界を変える」という理念のもと、世界と日本をつなぐ

LINEで送る

Q,看護に興味を持たれたきっかけは?

起業6父の仕事の関係で、私はフランスで育ちました。染色体異常で産まれた弟の治療を目的に家族で日本に移り住んだのですが、私は日本の風土になじめないまま高校生になりました。高校時代は数学が好きで、統計などに興味を持っていました。もしかしたら弟が継続的に医療機を受けていた影響があるのかもしれませんが、大学では医療統計の勉強をしたいと思うようになり、「看護大学で公衆衛生でも勉強しようか・・・」と思った私は、当時住んでいた東京から離れたいという意志も手伝い沖縄県立看護大に進学することを決めたのです。
当初は看護師にさほど興味がなかった私。しかし沖縄でアメリカナイズされた看護師がひとりで田舎に駐在し、地域の人々の健康を護っている姿を見て感銘を受けて興味を持ち始めました。公衆衛生の立場から看護師の働きを見たときに「看護ってすごいなぁ」と、はじめてその役割や価値を実感し、そのとき看護師になろうという意識が芽生えたような気がします。

Q、卒業後の進路を教えてください

卒後は看護師と保健師の資格を取りました。そして「もっと看護という世界を知りたい」と思った私は、独特な看護の風土を肌で感じたいと考え、歴史ある病院に就職。また同時に大学院にも進学しました。就職先では、自分の性格に合っていると考え救急外来を希望、そして大学院では「看護とは何か?」という看護の概念を理論的に突き詰めたくて、聖路加看護大学を選びました。
病院では年功序列がまかり通り、いくら若い人材が知識を持っていても、それより経験が優先される風土でした。「質の高い看護を提供するには経験が最優先ならば、その経験を言語化して伝える術が必要だ」そんなことを考えながらも、自分は看護の風土が嫌いではなく、その風土を、そして看護師の経験を大切にしなければいけないような気がしていました。

Q,留学をされたと聞きましたが・・・。

そうなんです。大学院の2年目で、研究のために仕事を休職して1年間アフリカに留学しました。その研究は中高生のHIVに対する意識調査で、行き先はタンザニア。知り合いもいない中、10万円を握りしめて現地に入り、大学の教授のドアをたたいて回りました。何とか協力してくれる教授が見つかり、協力してくれる中高生も見つかって、研究は順調に進んだのですが、何せお金がありません・・・。そんな時に出会ったのが日本の医療機器メーカーが、現地の医療に関する情報を収集したいという話でした。
私は、日本の人たちに現地の人を紹介するコーディネーターになり、2カ月ほど協力したのですが、その時、当時の私では想像できない謝礼をいただいたのです。自分にとっては知り合いを紹介したり知っている情報を伝えるというような簡単な行為だったのですが、相手にとってはそれが貴重な情報になったということを実感し、「誰かが持っている価値を、それを求める見知らぬ誰かに届けることがビジネスなんだ」と、当り前だけれど実感しにくいビジネスの本質に触れた気がしました。
また、アフリカではろうそくの光で論文を読んで勉強する学生たちに出会い、彼らの学びに対する貪欲さや生きる強さを目の当たりにし、学ぶことへの価値観が変わりました。

Q,帰国後、看護師に復帰した話を教えて下さい。

研究を終えて日本に戻り、元の職場の救急外来で勤務していたある日、救急外来でDICの患者さんを受け入れました。医師が2名、看護師は私1名で処置を始めたのですが、顔を見ただけで状態が悪いことは推測でき、検査データや血液ガスの値を見ると、助からない命であることが予測できました。
あたりまえのように挿管をしようとする医師を前に「この人はきっとこのまま逝ってしまう」と思った私は、医師に対して「2分間を僕にください」と依頼し、ベッドサイドに奥さんを呼んで面会をしていただきました。患者さんは奥さんに、今後やってほしいことを告げ「これまで一緒にいてくれてありがとう」という言葉を残し、奥さんは涙を流してこの言葉に応えました。そして2分が過ぎて挿管し、その場の命は取り留めましたが数日後、やはりその方は帰らぬ人になりました。
奥さんは「あの2分があったからこれから前向きに生きていける」と。私は看護師としてデ身体面をアセスメントして予後を推測し、このまま死にたくないという本人の精神面と家族という社会面に介入しました。このとっさの行為は、私の中の理論と現場が一致し「もう自分は看護師を辞めてもいい」と納得した出来事になったのです。

Q,そして起業を決意されたのですか?

起業6_2長く看護師を続けるつもりはなかったので「自分にしかできないかとは何か?」という自分の価値を模索し始めました。すぐに起業したわけではなく、まずは個人で動きだしたのですが、私にできることは、日本の人が求める海外の情報を入手したり、逆に海外の人が求める日本の情報を提供したり、また人と人をつなげたりすることなど。たとえば海外で病院を創りたいという場合、日本の医療や看護の情報を現地の人に提供できます。そんなことをしているうちに、日本の看護は海外で大きな評価を得ることが出来るとわかってきたのです。
海外の看護は身体面の評価が主ですが、日本の看護は身体面だけでなく、精神面や社会面も同時に自然に評価し、介入しようとします。日本の看護師は多面的に評価することが染みついているし、日本人の勤勉な資質も評価される由縁でしょう。だから日本の看護が世界に流通すれば、世界の人たちを救うことができると考えるようになったのです。そして起業を決意しました。

Q,現在のお仕事を教えてください

多くの人を救うには、さまざまな力が必要になります。私一人では小さな力なので、今は株式会社にして看護のプラットホームをつくり、必要なところに、必要とされている能力を持つ看護師をマッチングさせるような仕事もしています。
それ以外にもいろんな役割を担っていますが、私の目標は、アジア・アフリカ・中東地域などに、日本の看護を持っていくということ。そうすることで多くの命を救うことができる、日本の看護が世界を変えることができると実感しています。
今、看護を学ぶ読者のみなさんにも、日本の看護の価値を実感し、自信を持って日々自分を高める努力をしてほしいと思います。そしてたくさんの人の命を救ってください。

岡田悠偉人さん (看護師・保健師・疫学研究者)
NEW NURSING株式会社 代表取締役 

※本紹介は、メヂカルフレンド社「クリニカルスタディ」2013.10月号に掲載されたものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>